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日本100名城の一つ・1955年(昭和30年)、国指定の史跡。

堀に海水が満ちる海城 高松城を歩く

2022-02-192022-03-04

高松城をとことん楽しむためにエリア毎に魅力や見所を紹介します。

お知らせ

2022年2月26日に放送されたブラタモリ(NHK)「高松〜巨大な海城は町をどう発展させた?〜」の回で高松城が紹介されました。

高松城を歩く

史跡高松城跡

高松城(香川県高松市玉藻町2番1号)は、瀬戸内海に面し、堀には海水が満ちる海城(うみじろ)として全国に知られています。1955年(昭和30年)、高松城跡として国の史跡に指定されました。かつては、内堀・中堀・外堀に囲まれ、20の櫓(やぐら)と三層五階南蛮造りの天守がそびえていましたが、廃城後は多くの櫓が取り壊され、1884年(明治17年)に老朽化を理由に天守も解体されています。また、周囲の市街化に伴い、外堀や内堀・中堀の一部、瀬戸内海に面した北側などが埋め立てられ、現在の姿となっています。残された内堀・中堀には、いまでも正面の瀬戸内海から海水を引き入れ、タイなどの魚が泳ぐ姿を見ることができます。城内は、玉藻公園(たまもこうえん)として一般公開(有料)されています。

艮櫓(うしとらやぐら)

JR高松駅から高松城へ向かって進むと、正面に見えてくるのが西入口です。ゆっくり散策する時間があるなら、東入口(現在の正面玄関となる大手口)からの入場をおすすめします。

西入口に隣接する高松琴平電気鉄道(通称ことでん)の築港駅から、線路沿いを歩いて10分ほど進むと見えてくるのが艮櫓(うしとらやぐら)です。艮櫓は、東の丸北東隅から現在の場所へ移築されたもので、三層三階、大型の千鳥破風(ちどりはふ)とせり出した石落としが特徴の櫓です。1947年(昭和22年)、国の重要文化財に指定されています。

三層三階、大型の千鳥破風とせり出した石落としが特徴の艮櫓
三層三階、大型の千鳥破風とせり出した石落としが特徴の艮櫓

大手口(おおてぐち)・枡形(ますがた)

艮櫓の右手に見えるのが、高松城の正面玄関となる大手口(おおてぐち)です。大手口は、四方を囲まれた枡形(ますがた)に、出入り口となる虎口(こぐち)を二つ設けた「枡形虎口(ますがたこぐち)」と呼ばれる構造です。

中堀に対して斜めに架けられた旭橋(あさひばし)を渡って、最初にくぐるのが旭門(あさひもん)です。旭門をくぐった左側に券売所があります。

旭橋を渡って最初にくぐる旭門
旭橋を渡って最初にくぐる旭門

枡形の北面には、全国的にも珍しい石垣の中に作られた埋門(うずみもん)があります。扉は現存ではなく、門柱のみが江戸時代のものと考えられています。門柱には、鉄板を張っていたと思われる小さな穴が無数にあります。

枡形北面の埋門
枡形北面の埋門

枡形から、さらに城内へ進むために太鼓門(たいこもん)跡を通ります。

枡形と太鼓門跡(手前の石垣)
枡形と太鼓門跡(手前の石垣)

また、城外から見えた艮櫓の櫓台に上がることができるので、城内側にも設けられた狭間(さま)や銃眼(じゅうがん)、総塗籠(そうぬりこめ)された軒の垂木、千鳥破風などを間近で観察することができます。

総塗籠された軒の垂木
総塗籠された軒の垂木

桜御門(さくらごもん)(復元整備工事中)

桜御門(さくらごもん)は、三の丸への入口となる門です。左右の石垣の間を渡すように建てられた入母屋造り(いりもやづくり)、本瓦葺き(ほんがわらぶき)の櫓門でしたが、1945年(昭和20年)の高松空襲により焼失。長らく、石垣のみが残された状態でした。現在、2022年6月(令和4年)頃までの予定で復元整備工事が行われています。

復元整備工事中の桜御門
復元整備工事中の桜御門

桜御門は、通行止めとなっていますが、内堀に迂回路が設けられています。迂回路の途中、多聞櫓(たもんやぐら)跡の石垣を堀側から間近に見られます。

内堀に設けられた迂回路
内堀に設けられた迂回路
多聞櫓跡の石垣
多聞櫓跡の石垣

三の丸

桜御門を抜けて(現在は迂回路を通って)三の丸に入ると、目に入るのが、横一文字に組み上げられた目隠し用の石垣です。有事には、桜御門からの侵入者が直進できない仕組みとなっています。

一文字石垣
一文字石垣

現在、三の丸には、重要文化財の披雲閣(ひうんかく/旧松平家高松別邸)や陳列館などがあります。陳列館には、高松城復元模型図や高松城歴代城主一覧表などの資料や所蔵品が展示されています。

高松城復元模型図
高松城復元模型図
高松城歴代城主一覧表
高松城歴代城主一覧表

披雲閣は、142畳敷きの大書院を持つ豪壮な和風建築で、茶会・生け花展などのイベント会場として利用されています。室内からは、美しい披雲閣庭園を見ることができます。ただし、通常は非公開で、イベント時などに一般公開されることがあります。

披雲閣
披雲閣
披雲閣から見る庭園
披雲閣から見る庭園

披雲閣庭園は、地元庵治石を使った造形物と共に、松や蘇鉄(そてつ)がみごとに配置され、訪れる人をもてなしています。なかでも、銀閣寺の手水鉢を模した銀閣寺型手水鉢は圧巻です。幅約1.5メートル・奥行き約1.5メートル、高さ約2メートル、重さはなんと約11トンです。

銀閣寺型手水鉢
銀閣寺型手水鉢

また、庭園内には、昭和天皇・皇后お手植え松や、石の上に根を下ろした元祖ど根性松「大岩成樹」などがあるので探してみるのも楽しいかも。

ど根性松「大岩成樹」
ど根性松「大岩成樹」

着見櫓(つきみやぐら/月見櫓)・水手御門(みずてごもん)

三の丸を抜けると現れるのが、着見櫓(つきみやぐら/月見櫓)・水手御門(みずてごもん)です。この付近を新曲輪(しんくるわ)と言い、生駒氏から松平氏へ引き継がれた後、海を埋め立てるなどして拡張されたエリアです。石垣にもその痕跡が残ります。

海側(写真の右側)へ拡張された石垣
海側(写真の右側)へ拡張された石垣

着見櫓(月見櫓)・水手御門は、高松城が海城だった頃の面影を残す特徴的な建物です。現在は北側が埋め立てられ、車の往来する水城(みずき)通りとなっていますが、かつては目の前までが瀬戸内海で、船着き場として利用されていました。船が着くのを見張る櫓なので「着見櫓」と呼ばれます。水手御門は、海に向けて開く門として全国的にも珍しく、唯一の現存です。

着見櫓(月見櫓)・水手御門
着見櫓(月見櫓)・水手御門

石垣の手前に用意された階段を上ることで、城内から着見櫓(月見櫓)・水手御門の全景を見ることができます。

石垣の手前に用意された階段
石垣の手前に用意された階段

水門

三の丸と二の丸をつなぐ土橋が、堀に海水を引き込む水門となっています。

堀に海水を引き込む水門
堀に海水を引き込む水門

この水門は、今でも水路で瀬戸内海とつながり、潮汐に合わせて海水を引き込んでいます。

海水を引き込むようす
海水を引き込むようす

鞘橋(さやばし)

二の丸を進むと、鞘橋(さやばし)が見えてきます。鞘橋は、二の丸と本丸をつなぐ唯一の経路で、有事には、この鞘橋を落とすことで本丸が孤立した島のようになる仕組みです。

鞘橋
鞘橋

高松城築城当時は、屋根のない「らんかん橋」だったようですが、江戸時代の改修で屋根が付けられ、その後、大正期には木製の橋脚から石製に付け替えられています。鞘橋を渡りきった本丸側から美しい姿を見ることができます。

鞘橋の美しい姿
鞘橋の美しい姿

本丸・天守台

本丸の入口となる本丸虎口(ほんまるこぐち)を上ります。

本丸虎口
本丸虎口

かつては、三層五階南蛮造りの天守がそびえていましたが、1884年(明治17年)に老朽化を理由に解体され、その後、初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟(たまもびょう)が建てられました。しかしながら、築城後420年が経過し、石垣の痛みが激しく、危険なことから平成17年度より、天守台石垣すべてを解体し、再度積み上げる工事が行われました。現在は天守台のみとなっています。

高松城天守台
高松城天守台

天守台へ上るための石段は、江戸時代の遺構を復元したものです。蹴上げの高さが不揃いなため、上り下りには注意が必要です。特に下りるときは踏み外して転落しないように、手すりを利用しましょう。

天守台へ上る石段
天守台へ上る石段

石段を上りきったところは、天守の地下1階の部分です。石垣修理工事に伴う発掘調査により、地下1階の基礎構造が明らかになりました。「田」の字に並べられた52個の礎石と4ヶ所の掘立柱跡を見ることができます。

高松城の天守地下1階
高松城の天守地下1階

天守台には展望台があり、城内を見渡すことができます。内堀に続くように、奥には瀬戸内海が見え、高松城が海城であることをあらためて実感できます。

天守台から眺める瀬戸内海
天守台から眺める瀬戸内海

夜になると全体が赤く光る世界初のガラス灯台「せとしるべ」や高松港を発着するフェリーの往来、奥には鬼ヶ島の別名を持つ女木島(めぎじま)などが見えます。

世界初のガラス灯台「せとしるべ」
世界初のガラス灯台「せとしるべ」

西入口から水城通りへ

天守台を下り、鞘橋を戻って、左手奥に見える西入口から城外へ出ます。海側へ石垣に沿って進むと、水城通りです。正面に、着見櫓(月見櫓)・水手御門が見えてきます。

水城通り
水城通り

海水を城内へ引き込む取水口が見られます。反対側は、水城通りの下を水路が通り、瀬戸内海とつながっています。海側には、高松港の港湾環境整備工事に伴い、新たに設置された玉藻水門(たまもすいもん)があります。

海水の取水口
海水の取水口

先ほど城内から見えていた水手御門です。石段は復元されたものですが、江戸時代にはここから小舟で出て、沖に停泊する御座船飛龍丸に乗船したようです。

水手御門
水手御門

「讃州さぬきの高松さまの城が見えます波の上」と歌われた高松城。水城通りから着見櫓(月見櫓)見ると、櫓台の石垣が波で洗われていた当時の姿を思い描くことができるのではないでしょうか。

着見櫓(月見櫓)
着見櫓(月見櫓)

東の丸石垣・艮櫓跡

着見櫓(月見櫓)を過ぎて、そのまままっすぐ進むと県民ホールが見えてきます。県民ホール手前の鹿櫓(しかやぐら)に沿って右へ曲がります。

鹿櫓(しかやぐら)
鹿櫓(しかやぐら)

正面に見えるのが東の丸石垣です。この石垣は、松平氏によって高松城が拡張されたときに作られたものです。県民ホールの大ホール棟と小ホール棟の間を縫うように残されています。

東の丸石垣
東の丸石垣

最後に紹介するのが艮櫓(うしとらやぐら)跡です。東の丸石垣に沿って、県民ホールの敷地内を進むと、ずっしりと構えた櫓台が現れます。これが艮櫓跡です。艮櫓・・・ん?どこかで聞き覚えがありますね。東入口(大手口)から入場する時に見えていたあの櫓です。

もともとは、高松城の北東隅に位置するこの場所にありました。北東は、丑寅(うしとら)の方角とも言い、それが艮櫓と呼ばれる由来です。丑寅の方角は、いわゆる鬼門です。鬼門を鎮護するために、大型の千鳥破風を持つ三層の立派な櫓が建立されたのかもしれませんね。

艮櫓跡
艮櫓跡

このまま、東の丸石垣に沿って歩くと、東入口方面へ出られます。最後にもう一度、艮櫓を眺めて、高松城を歩く旅は終了です。

艮櫓
艮櫓

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